#庭 #実はここが発祥の地 #駐車場やトイレあり、もちろん無料
春雨庵
紫衣事件での出来事により、江戸から出羽国上山へ流謫となった沢庵宗彭。
沢庵を崇敬していた上山藩主土岐頼行は松山に草庵を建立し、篤く処遇した。閑静な場所にある草庵を、沢庵はこよなく愛し3年間を過ごす。
復元された庵と茶室や庭園が、当時の面影を感じさせる。
上山藩と沢庵宗彭の関係とは。そこには思い出深い出来事が。
沢庵宗彭が上山へ
寛永6年[1629]7月28日、紫衣事件で幕府の忌諱に触れた禅僧「沢庵宗彭」が、江戸から出羽国上山へ流謫になった。流謫のお預かりとはいえ、沢庵を少なからず崇敬していた当時の上山藩主「土岐頼行」は、松山に草庵を建立して篤く処遇した。
春雨庵で過ごす日々
沢庵は、小さくも豪華な春雨にけむる閑静な草庵をこよなく愛し、『春雨庵』と名付ける。桎梏の身ではあるが、終生の願いである悠々の日を過ごせる事を喜んだ。
宗彭はこう記している
さき草の三ば四ばの軒に軒
むべもあだしき夜半の月かな
花にぬる胡蝶の夢をさまさじと
ふるも音せぬ軒の春雨
今も残る井戸 「春雨の井戸」
渇を癒し、ある時は茶を立てるのに使われた。
普段見かける沢庵漬け、実はここが発祥の地!?
沢庵漬けについて、次のような考えがある
・沢庵漬けは沢庵宗彭が考えた
・元々「じゅくあんづけ」と呼ばれていたが、沢庵宗彭の存在により「じゅくあん」→「たくあん」→「沢庵和尚が考案したもの」という考えが広まった
・関西で広く親しまれていたものを沢庵宗彭が江戸に広めた
・徳川家光が東海寺に訪れた際、沢庵宗彭が大根のたくわえ漬けを供したところ家光が気に入り「たくわえ漬けにあらず沢庵漬なり」と命名した
・「たくわえ漬け」がなまった
こよなく愛した春雨庵、上山を離れる
上山から江戸へ帰る
3年の月日が流れ、寛永9年[1632]に赦免となり、江戸,東海寺へ帰る。この時、上山の『春雨庵』を江戸,東海寺境内まで運び、過ぎし日の上山における謫居生活をそぞろに懐かしんだ。
現代へ繋ぐ歴史と形
時は移り、昭和28年[1953]、「上山沢庵禅師遺跡春雨庵保存会」結成。その後、春雨庵跡と推定される現在の地に、春雨庵の復元工事が始められ、昭和37年[1962]7月24日、春雨庵落慶式と沢庵禅師尊像開眼入仏式が挙行された。県指定文化財として、静かな松山の地に、当時の面影が残る。
春雨庵
〒999-3146 山形県上山市松山二丁目10-12
かみのやま温泉駅より車で5分
駐車場あり
入館料:無料
開館時間:8時00分~17時00分 休館日:第3日曜日とその前日
TEL:023-672-0824