#市民も知らないような場所 #深い歴史が #落ち着く場所
たいしょうづか
大将塚
慶長五年、関ケ原の合戦が出羽国上山にも及ぶ。
ここ、物見山合戦の激戦地は、いったいどんな歴史があるのか。
一本の老松の下に、大将塚の説明版と碑あり。
まずは「物見山合戦」について知ろう
激戦、慶長の出来事
慶長五年[1600]、関ヶ原の合戦が出羽国上山にも及び、同年9月17日、「物見山合戦」が繰り広げられた。上山軍は山形城からの援兵を得て、上山城主里見越後嫡子民部を大将に、地の利を活かした配兵で上杉軍を迎え撃った。
この場所で何があったの?
激戦地であったこの場所では、上杉軍大将本村造酒丞親盛が戦死を遂げ、上山軍はその機を逃さず一斉攻撃を仕掛け、上杉軍の敗退となった。
木の下にある碑は…
霊を弔う
その後、大将本村造酒丞親盛の霊を弔うため、村人達が塚を築き、碑を建てた。
大将塚
〒999-3245 山形県上山市川口1481
かみのやま温泉駅より車で8分
駐車場なし