「春雨庵」をこよなく愛す、沢庵漬け発祥の地!?

11月には、供養祭と沢庵の漬け込み式が開催されている。
11月には、供養祭と沢庵の漬け込み式が開催されている。

紫衣事件での出来事により、江戸から出羽国上山へ流謫となった沢庵宗彭。

沢庵を崇敬していた上山藩主土岐頼行は松山に草庵を建立し、篤く処遇した。閑静な場所にある草庵を、沢庵はこよなく愛し3年間を過ごす。

復元された庵と茶室や庭園が、当時の面影を感じさせる。

名称春雨庵(はるさめあん)
住所山形県上山市松山二丁目10-12
営業時間08:00~17:00
休業日第3日曜日とその前日
料金無料
アクセスかみのやま温泉駅より車で5分
駐車場あり
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上山藩と沢庵宗彭の関係とは

沢庵宗彭が上山へ

寛永6年(1629)7月28日、紫衣事件で幕府の忌諱に触れた禅僧「沢庵宗彭」が、江戸から出羽国上山へ流謫になった。流謫のお預かりとはいえ、沢庵を少なからず崇敬していた当時の上山藩主「土岐頼行」は、松山に草庵を建立して篤く処遇した。

春雨庵に繋がる沢庵坂
春雨庵に繋がる沢庵坂

春雨庵で過ごす日々

沢庵は、小さくも豪華な春雨にけむる閑静な草庵をこよなく愛し、「春雨庵」と名付ける。桎梏の身ではあるが、終生の願いである悠々の日を過ごせる事を喜んだ。

  • さき草の三ば四ばの軒に軒 むべもあだしき夜半の月かな
  • 花にぬる胡蝶の夢をさまさじと ふるも音せぬ軒の春雨
沢庵宗彭

上山から江戸へ帰る

3年の月日が流れ、寛永9年(1632)に赦免となり、江戸・東海寺へ帰る。この時、上山の「春雨庵」を東海寺境内まで運び、過ぎし日の上山における謫居生活をそぞろに懐かしんだ。

春雨庵の内部
春雨庵の内部

今に残る姿

沢庵漬け、ここが発祥の地?

  • 沢庵漬けは沢庵宗彭が考えた
  • 元々「じゅくあんづけ」と呼ばれていたが、沢庵宗彭の存在により「じゅくあん」→「たくあん」→「沢庵和尚が考案したもの」という考えが広まった
  • 関西で広く親しまれていたものを沢庵宗彭が江戸に広めた
  • 徳川家光が東海寺に訪れた際、沢庵宗彭が大根のたくわえ漬けを供したところ家光が気に入り「たくわえ漬けにあらず沢庵漬なり」と命名した
  • 「たくわえ漬け」がなまった

現代へ繋ぐ歴史と形

時は移り、昭和28年(1953)「上山沢庵禅師遺跡春雨庵保存会」結成。

春雨庵跡と推定される現在の地に春雨庵の復元工事が始められ、昭和37年(1962)7月24日、春雨庵落慶式と沢庵禅師尊像開眼入仏式が挙行された。県指定文化財として、静かな松山の地に、当時の面影が残る。

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