「春雨庵」をこよなく愛す、沢庵漬け発祥の地!?

紫衣事件での出来事により、江戸から出羽国上山へ流謫となった沢庵宗彭。
沢庵を崇敬していた上山藩主土岐頼行は松山に草庵を建立し、篤く処遇した。閑静な場所にある草庵を、沢庵はこよなく愛し3年間を過ごす。
復元された庵と茶室や庭園が、当時の面影を感じさせる。
名称 | 春雨庵(はるさめあん) |
住所 | 山形県上山市松山二丁目10-12 |
営業時間 | 08:00~17:00 |
休業日 | 第3日曜日とその前日 |
料金 | 無料 |
アクセス | かみのやま温泉駅より車で5分 |
駐車場 | あり |
上山藩と沢庵宗彭の関係とは
沢庵宗彭が上山へ
寛永6年(1629)7月28日、紫衣事件で幕府の忌諱に触れた禅僧「沢庵宗彭」が、江戸から出羽国上山へ流謫になった。流謫のお預かりとはいえ、沢庵を少なからず崇敬していた当時の上山藩主「土岐頼行」は、松山に草庵を建立して篤く処遇した。

春雨庵で過ごす日々
沢庵は、小さくも豪華な春雨にけむる閑静な草庵をこよなく愛し、「春雨庵」と名付ける。桎梏の身ではあるが、終生の願いである悠々の日を過ごせる事を喜んだ。
沢庵宗彭
- さき草の三ば四ばの軒に軒 むべもあだしき夜半の月かな
- 花にぬる胡蝶の夢をさまさじと ふるも音せぬ軒の春雨
上山から江戸へ帰る
3年の月日が流れ、寛永9年(1632)に赦免となり、江戸・東海寺へ帰る。この時、上山の「春雨庵」を東海寺境内まで運び、過ぎし日の上山における謫居生活をそぞろに懐かしんだ。

今に残る姿
沢庵漬け、ここが発祥の地?
- 沢庵漬けは沢庵宗彭が考えた
- 元々「じゅくあんづけ」と呼ばれていたが、沢庵宗彭の存在により「じゅくあん」→「たくあん」→「沢庵和尚が考案したもの」という考えが広まった
- 関西で広く親しまれていたものを沢庵宗彭が江戸に広めた
- 徳川家光が東海寺に訪れた際、沢庵宗彭が大根のたくわえ漬けを供したところ家光が気に入り「たくわえ漬けにあらず沢庵漬なり」と命名した
- 「たくわえ漬け」がなまった
現代へ繋ぐ歴史と形
時は移り、昭和28年(1953)「上山沢庵禅師遺跡春雨庵保存会」結成。
春雨庵跡と推定される現在の地に春雨庵の復元工事が始められ、昭和37年(1962)7月24日、春雨庵落慶式と沢庵禅師尊像開眼入仏式が挙行された。県指定文化財として、静かな松山の地に、当時の面影が残る。