上山城周辺に残る城下町の「坂」特集! あの坂の名前や歴史とは

上山城周辺を歩いてみると多くの坂に出会うことが出来ます。それもそのはず上山城は20mほど高い位置にあり、堀や城下町の面影が現在の坂として残っているのです。
今日は「城下町かみのやま」にある10ヵ所の坂をご紹介します。
名称 | 住所 |
---|---|
三島坂(みしまざか) | 十日町2-12~元城内2-7 |
月待坂(つきまちざか) | 鶴脛町1丁目6-5~元城内3-7 |
御館坂(みたちざか) | 元城内7-1~元城内3-23 |
観音坂(かんのんざか) | 十日町9-30~御井戸丁2-1 |
鶴舞坂(つるまいざか) | 湯町3-1~鶴脛町1丁目10-26 |
中之坂(なかのざか) | 湯町3-1~鶴脛町1丁目10-35 |
湯出坂(ゆいでざか) | 新湯6-2~新湯6-26 |
天神坂(てんじんざか) | 鶴脛町1丁目7-7~鶴脛町1丁目7-15-1 |
袖摺坂(そですりざか) | 新湯5-12~新湯7-5 |
沢庵坂(たくあんざか) | 新湯5-12~松山2丁目6-34 |
それぞれの坂にある歴史と由来
上山城に繋がる道「三島坂」
三島神社は城主土岐頼行により上山城の守護神として万治二年に奉られた。
- 坂の途中にはもともと上山市役所があった
- 180度のカーブ
- 三島神社
月と城を眺める坂「月待坂」
上山城(月岡城)本丸跡は昔「天神森」と言われてきたが、この地から眺める名月は素晴らしく「月岡」と呼ばれるようになった。
- 横にある板塀は城下町再生志士隊が整備しているもの
- 坂上には月岡神社と上山城、そして三島坂に繋がる
堀を感じながら「御館坂」
元禄五年、幕命により上山城の天守閣が取り壊され、以後歴代城主の屋敷はこの坂の西側に建てられた。
- 北側には上山小学校、南側には月岡公園がある
- 坂上から月岡神社と西側の内堀跡に繋がる
人々の生活の支えに「観音坂」
最上三十三観音の十番札所湯の上観音は室町時代より巡礼で賑わうようになり、今尚全国からお遍路さんが訪れている。
- 坂下には下大湯公衆浴場と水岸山慈眼院観音寺
- 西側は三ノ丸跡、坂上から御館坂へ繋がる
その名の通り、温泉発祥の地「鶴舞坂」
肥前の僧侶月秀は長禄二年、上山を訪れた時足を痛めた鶴が沼地で傷を癒しているのを見て温泉を発見した。
- 坂上方向、奥に見えるのは寿仙寺と秋葉山
歴史と共に歩く「中之坂」
かつて上山城の西側は武家屋敷が立ち並んでおり、湯町と新湯通りの中間にあるこの通りは中の町と言われてきた。
- 坂上は平らな道が続く
- 武家屋敷通り
新湯通りのあの坂は「湯出坂」
昔よりこの坂一帯は雪解けが早く温泉が出るのではないかと語り継がれていた。江戸時代には新之坂と呼ばれていた。
- 新湯の足湯
- 坂上は90度カーブし鶴脛町へ繋がる
めっっちゃ急!「天神坂」

江戸時代までこの坂の近くに天神様があったため「天神坂」と呼ばれるようになった。現在は、坂上方面(北側)からのみ一方通行となっている。
- 車1台がやっと通れる幅
あまり知られていない「袖摺坂」

この通りは上山で一番古い街道筋になっており、昔は人の往来に比べ道幅が狭く袖が触れ合うくらいであった。
- 坂を下ると沢庵坂へ通じる
城下町から離れ、閑静な地へ「沢庵坂」
寛永六年、紫衣事件にて京都大徳寺の沢庵禅師を城主土岐頼行はこの坂の上に庵を建て丁重にもてなした。
- 県道を挟み、坂は続く
- 春雨庵付近からは蔵王連峰や温泉街の建物が見える